歴史

当院より西方約300メートルにある弥勒堂は弥勒寺発祥の地と考えられる。古文書によれば養老年間(700年代初期) 婆羅門僧正が三国伝来の弥勒菩薩(総高十センチ程で現在弥勒院秘仏として保存)を本尊として開山したといわれる。現在のお堂は寛保三年(1734年)に再建されたもので現在地区鎮守様として地区民に信仰されている。

鎌倉時代、弥勒堂の別当として朝印坊という庵があったが、この庵に源義経の忠臣継信の子義忠が母とともに身を寄せ、母没後の建久年間(1190~1198) 父継信、叔父忠信、母尼王の3人の霊を弔い供養塔を建立しこの地を去ったという。これが弥勒堂の近くに祀られる三篋塔である。江戸時代に入り当地は新庄藩の所領となるが朝印坊宥朝代に藩主の帰依を受けて谷地本町に長慶寺を創建した。元禄16年(1703年) 長慶寺末寺として朝印坊に変わって現在地に弥勒院を創建 弥勒堂並びに三篋塔の別当寺院としたが文化年間(1800年代初期)に火災に遭い殆どの書類等も焼失している。この時の火災が弥勒寺、弥勒院の由諸、三篋塔を確証する手がかりを失ったと考えられる。現在の弥勒院は文政年間に再建され現在に至る。